丹波マンガン鉱山の強制連行

  時代背景
日本に朝鮮人や中国人が何故多く強制連行されたのでしょう?
逆に何故、日本は拉致とも言える強制連行をしなくてはいけなかったのでしょう。日本国内の鉱物資源は金・銀・銅・鉄・鉛・亜鉛・タングステン・モリブデン・アンチモー・マンガン・クロム・ドロマイト。非金属は、珪石・長石・かっ石・ろう石・とう石・石灰石・石炭等の石灰石を除き鉱物資源が必要量の1/10程度しか、なかったからです。

第二次大戦中には日本国内で「強制供出」という事が各地で行われました鉄鍋や鉄窯などを溶かし直すから供出せよ。というものです。
しかし鉄の必要量は5000万tで採掘された鉄鉱石は300万tです。必要量の7%の自給率ですから鍋や窯を溶かしても到底及びません。
戦争前には鉱物資源をアジア各地で採掘して日本で溶錬して金属にして戦争物資を調達する予定でした。

海軍の連合艦隊の山本五十六は「日本が外国から鉱物資源を輸入出来なければ1年で日本国内の金属は枯渇するだろう」と予言しました。
それは現実の事になり制空権(空の覇権)は連合軍に取られアジアで採掘した鉱物資源を積載した輸送船は次々に爆撃で沈められ輸送船は日本には届きませんでした。

仕方なく戦争を継続する為には必要量の1/10程度の日本国内の鉱物資源を採掘する事になりました。日本には戦争時に鉱山が2万カ所もあり100万人の労働者が必要でした。日本人は「学徒出陣」といって学生まで兵隊に徴用していましたからとても鉱山に回す労働者は居ません。
鉱山は動かせませんから労働者を朝鮮や中国から連れて来るより方途はなかったのです。

朝鮮から日本へ300万人。朝鮮からアジア各地に300万人。中国人も日本やアジアへ560万人も強制連行しました。日本への強制連行は300万人といわれますが「第85、86帝国議会資料」「1,920〜1930年代の朝鮮社会経済状態と階級関係」、朴慶植「日本帝国主義の朝鮮支配」の資料を基に割り出した強制連行の数は112万2912人で石炭鉱山と金属鉱山に強制連行された朝鮮人は60万6263人に上ります。

つまり強制連行の連行先は50%以上が鉱山なのです。逆に朝鮮人は食えなくなって日本に渡って来た。と言う者が多かった。ので日本では出稼ぎ説を主張している人も多いのです。朝鮮国で朝鮮人は何故食えなくなったのでしょう?朝鮮には土地の登記が明確に、なされておらず日本の測量事業で自分の土地だという事を主張しない者は土地を取り上げられてしまいました。

日本の土地調査事業により「東洋拓殖会社」(会社といっても日本国営)によって70%の田圃などの土地が取り上げられ多い所では収穫の90%以上の年貢を強いられ離農しました。朝鮮人が職業と食料を同時に失い渡日した者が多かった。

次に日本が植民地支配していた期間に日本の作った資料で少なめに発表している数字でも朝鮮から日本に持ち出した米は2400万トン「朝鮮総督府発行「農業統計」「食料営団統計資料」。米は当時と今の価値はほぼ同じという事なので2400万トンで(1トン35万円と換算)すると8兆4000億円となります。朝鮮人の食べる物がないのに日本が食料を略奪して日本本土に「飢餓輸出」をしていたのです。

他には綿花、亜麻、マユ、など繊維原料も60万トンも略奪しています。その他の穀物も1900万トンも略奪しています。次に日本の朝鮮総督府が植民地支配していた時の政策に「山林令」があります。日本の植民地支配以前は朝鮮では山は公共の物で誰でも山に立ち入って芝刈りが出来たのですが日本の植民地支配が開始されてから「山林令」が発布され山が立入禁止になったのです。

この政策は朝鮮人の燃料がなくなる事を意味しました。李貞鎬は日本の植民地により「食えなくなって(日本に)来た者も強制連行だ」と主張したのは、こういう時代背景でした。李貞鎬の父も農業従事者で朝鮮で日本に土地を取り上げられ日本に居る兄を頼って渡日しましたが直ぐに病気にかかり医者に診てもらえず亡くなり李貞鎬は天涯孤独の身となりました。

差別により鉱山で働くより職業がなかった李貞鎬は16才で鉱山で働き研究熱心な李貞鎬はは丹波の殆どの鉱山を見に行きました。
マンガンも他の鉱物と同じく戦時中、年/300万tは必要でしたが最高採掘量は1944年に日本国内のマンガンの採掘量は年/35万tで必要量の11%という自給率でした。

丹波では約3000人もの朝鮮人が強制連行や募集連行で集められマンガン鉱の採掘をしていました。鉄は鉄だけで硬いと思っている人が多いのですが鉄はマンガンを入れないと硬くならないのです。マンガンは戦争で大砲や鉄砲や戦車の鋼板などの鋼鉄を作る為に必要不可欠な軍事物資だったからでした。丹波のマンガン鉱山は300鉱山もありました。

一鉱山で坑道数は50〜80本で300鉱山で15000〜20000本もの坑道(穴)が開けられ採掘されました。
日本一のマンガン採掘地帯で記念館の近くの日吉町には陸軍のマンガン集鉱所である「帝国マンガン株式会社」(会社とあるが陸軍の直営)の『帝国マンガン集鉱所』という陸軍のマンガン集鉱所がありました。

重要な戦争軍事物資のマンガンは「国家統制品」として陸軍が戦争の為の優先順位を決定して配給していました。
民間が勝手に販売する事は許されておらず陸軍の☆星の付いたトラックがマンガンを鉱山に集めに廻っていたのです。
戦争中には丹波マンガン鉱を出荷する為162号線沿いに鉄道を創ろうとしたのですがトンネルを5本も掘らねば鉄道が付かない事が解り山陰本線を丹波マンガン地帯に寄せる為に園部から東へ曲げて日吉(昔は殿田)駅を創り日吉駅にマンガンの集積所を創りました。

又、三田〜長島線のレールを挙げて福住鉱山のマンガンを運ぶ為に福住線の鉄道を創ったのでした。
山陰本線をマンガンを運搬する為に迂回したり福住線のようにマンガンを運搬する専用鉄道を創ったりしたのですからマンガン確保が国策で行われていたかが解ります。

掛橋鉱山からの運搬は朝鮮人が山奥の道なき道を200kg〜300kgものマンガンを担いで5時間も運びました。この過酷な労働を強いられたのは強制連行された朝鮮人(解っているのは現韓国晋州大谷面)の人々でした。田中宇という共同通信の元記者は「マンガンパラダイス」という本を
書いて韓国晋州大谷面の人は日本へ出稼ぎに行き牧歌的に日本でマンガン労働した事を懐かしく思っている。」

「これは日本が酷かったという事を否定する新事実ではないか。」と書いたが2004年8月12日の京都新聞では自民党の元幹事長の野中広務氏が証言しています。一部抜粋「口丹波にはマンガンなどの鉱山が300前後もあり、ここで働く朝鮮人もいた。小学生のころ、鉱山で働く朝鮮人が多くいた背中に、たくさんの荷物を背負い道をよろよろ歩いている。疲れきってうずくまるとムチで、ぱちっと叩かれ、血を流しながらはうように歩き出すんです。「同じ人間。なんてひどいことをやるんだ」と思い中途半端な正義感で「なんで、そんな事をするんですか」と叩いている人に尋ねたら「子供にわかるか」。という証言をしている。

又、厚生省勤労局「朝鮮人労務者に関する調査」の長崎県分の名簿には鯛の鼻鉱山の名簿があり韓国晋州大谷面からの労働者が2人亡くなっている。又、厚生省勤労局福岡県分では過酷な鉱山で名高い三井三池鉱山万田坑の名簿にも1944年1月と2月に韓国晋州大谷面から15名の名簿がある。

万田坑の名簿には1944年7月までに9人が過酷な労働に耐えかねて事業所から逃走している。
2001年7月に韓国晋州大谷面の李 新基さんを訪ねて「牧歌的に日本でマンガン労働した事を懐かしく思っていると田中 宇氏に説明したのか。」と尋ねると「そんな事は言っていない。晋州大谷面の村の男は半数が強制連行で九州の石炭やマンガン鉱山へ日本人に連れて行かれたと田中氏に説明した。

連れて行かれた者の半数が帰って来なかった。又、労働費も支払われていないのに懐かしく思う事はない」と、その男の言っている事はコジンマル(ウソ)だと証言した。
京都府南丹市(旧日吉町)の故山口秀○さんは「朝鮮から来た者に金も(労働賃金)払わないでマンガン運びをさせていた。」

「賃金を払わないで働く者がいるのですか?」と尋ねると日本人事業者は今、お前ら(朝鮮人)に渡したら使ってしまうだろ。金は貯金しておいてやる。故郷に帰る時に送って(送金)やる。といって送らない。これがタダで朝鮮人を使う(働かす)やり方だった。と証言した。

韓国晋州大谷面の人は日本へ出稼ぎに行き牧歌的に日本でマンガン労働した事を懐かしく思っている。というのは完全なウソの「新事実」で田中宇氏は噓つきの捏造作家であった。又、大正7年2月21日大阪朝日新聞京都付録では

「朝鮮人坑夫の脱走」と題して葛野郡嵯峨村字原村田鐄山事務所の満俺採掘工夫朝鮮全羅南道済沖島生まれ金性班(二十年)は二十五日同事務所より脱走し行方不明同事務所より此由花園署に届出でたり

てうせんじんこうふのだっそう
かどのぐんさがむらあざはらむらたこうざんじむしょのまんがんさいくつこう二十五日どうじむしょよりだっそうしゆくえふめいとなりしかばどうじむしょよりこのよしはなぞのしょにとなりしかばとどけいでたり

その後の調査で村田鉱山事務所ではタコ部屋(坑夫が住まわされる狭小住宅)に監禁され強制的に過酷な労働を強いられていた。(つまり強制連行だった。)又、強制連行は昭和10年から始まったと主張する人が多いが丹波のマンガン鉱山では大正七年には強制連行があった事が、この記事から読み取れる。

1991年6月21日の京都新聞には京都市船井郡園部町(現南丹市園部町)に大阪陸軍造幣廠の軍需工場(地下工場)が疎開し三百人近い朝鮮人(実際は約千人)が強制連行されていた事が分った。

丹波マンガン記念館の近辺の南丹市園部町や南丹市美山町芦生にも、このような強制連行地が多く点在する。
近畿では兵庫県の中瀬鉱山、福井県の中竜鉱山、兵庫県の生野鉱山、兵庫県の明延鉱山、滋賀県の土倉鉱山、京都府亀岡の大谷鉱山、京都府の鐘内鉱山など一鉱山で100〜2000人規模の強制連行のあった鉱山が数多くある。

京都舞鶴では造船や地下火薬庫、防空壕等3千人が強制連行されて空襲で亡くなっている。
又、日本国内には高槻地下倉庫や岐阜県可児市の地下倉庫群、長野県の松代大本営、東京高尾山等1万カ所の地下壕(地下工場や防空壕)があり工場、土建、港湾、等の無数の強制連行地があり強制連行で約20万人が落盤事故や虐待で死亡したといわれる。

疑う人は日本人で竹内康人氏の著書「調査・朝鮮人強制労働A財閥・鉱山編」や林えいだい氏の著書に詳細が書かれている。
中国海南島では石碌鉄鉱石鉱山や田独鉱山へ強制連行された朝鮮人の慰霊碑が万人坑(1万人死んだ碑)、5千人坑、三千人坑と1万8千人の死亡した碑が並んでいる。

石碌鉄鉱石鉱山の横には1万坪ほどの運動場のような所があるが全て鉱山で死亡した朝鮮人の埋葬地で地元民によると「多すぎて何人の死体が埋まっているか解らない。」と言う。

その横の展示施設ではショーケースに朝鮮人の骨が現物のまま数体展示されており虐待で日本軍に手首を針金で縛られ生き埋めにされた遺骨や頭蓋骨に鉄棒を刺され殺された遺骨が展示されていた。
又、「朝鮮人が日本兵士に折檻で袋に入れて木に吊るされガソリンをかけて火をつけた。

現在も雨が降ると生きたまま焼かれた朝鮮人の悲鳴が聞こえる」と地元民は説明してくれた。
私(李龍植)は日本全国や北東アジアで数百カ所を廻り強制連行地を廻ったが日本は正に「強制連行列島」である事が解る。
強制連行地の体験談は今後ブログで紹介したい

       

トップページに戻る