丹波マンガン記念館 閉館にあたって



 丹波マンガン記念館は1986年より開始しました。京北町の町長に第三セクターで一緒に博物館を作らないかと持ちかけましたが丹波マンガン記念館で朝鮮人の強制連行や被差別部落の人が働いた歴史、じん肺の歴史を展示するのがわかると「そういう歴史は暗い歴史でそういうことを出すと町のイメージが悪くなる」と断られ京都府と旧京北町に妨害と非協力にさらされながら個人の力によって3年の歳月をかけ建設をし1989年(平成元年)に開館しました。
 初代館長の李 貞鎬が6年2代目館長の私 李 龍植が14年運営しました。
 それから約20年一度も黒字がなく運営し続けてきました。
 開館以来14年京都府も京北町も一度も補助金をだそうとはしませんでしたが、いよいよ財政的危機に直面したとき人権ネットを中心とした皆様の御協力により500万円のカンパを頂きました。
 しかし年間500万円の慢性的な赤字はそれからも改善せず会員は増えることはありませんでした。毎年特別展をし見学者の増員を図りましたが抜本的な財政赤字を克服するには至りませんでした。
 「閉館しょう」と思うたび「丹波マンガン記念館はわしの墓だ」という言葉が頭をよぎりもう一度、もう一度と続け家族で李貞鎬の嫁の私の母は年金まで赤字補填に使い続けてきましたが野外の建物の老朽化、国道9号線の高速道路による162号線(マンガン記念館の前の道)の交通量の減少、母親の高齢化による新たなる人件費の増大、北朝鮮による拉致問題で日本人の強制連行の問題意識の希薄化による見学者の減少等等により閉館を決意しました。
 「共同通信の元記者だった田中宇という記者がマンガンを200kg〜300kg担いだ朝鮮人は朝鮮から出稼ぎで儲けていたんだという「ウソ」を「マンガンパラダイス」という本にして出版しましたが韓国の晋州市大谷面の村の人はマンガンを200kg〜300kg担いだ朝鮮人は強制連行で旧京北町(当時は弓削村)に連れてこられていたことが解りました。
 大谷面の近くには第二次大戦中日本軍が飛行場を建設しており、その飛行場へもたくさんの村人が強制連行され、強制労働させられていたがそこでたくさんの村人が殺されたり事故で死んだそうだ。また九州の炭坑にも大谷面の村から拉致して連れて行かれて半分位の人が帰ってこなかったそうです。
 故郷にはお金は全然送られていなかったのが大谷面に帰ってきてわかったそうで、丹波のマンガン鉱山に強制連行させられていた時には知らされず全くの無料で働かされていたのだった。
 「マンガンに生きた朝鮮人と部落」証言ビデオに収録されているが戦時中に日本に行ってマンガン鉱山で働き、出稼ぎが出来た韓国人の村人が多くいて日本に悪い印象は持っていないとマンガンパラダイスという本に書いて出版したと言ったら大谷面の李 鐘秀さんは「その男はウソつきだとハッキリと言った」
 大谷面の人達は田中宇が来た時にも日本軍が来て大谷面の人達が強制連行され日本に連れて行かれたことも証言したし日本軍が村の食糧も奪っていったり家財道具や扇子まで奪っていったことを田中宇氏に証言したというのである。それは通訳として同行した韓国人の女性も大谷面の村の人と同じ証言をし大谷面では強制連行があったことを田中宇氏が行ったときも村人が証言していたと言っており略奪もあったことを証言したが田中宇氏は強制連行があったことを知りながらウソを書いたのです。田中宇氏が本を出版した後にこの事実を知った。
 悲惨な話はなかったのでなく強制連行も、じん肺のことも被差別部落の人達の差別や労働などや日本軍の蛮行を一切、書かなかったのてある。良心派ではなく完全な「ウソつき作家」「扇動作家」であった。
 正確な歴史を残す為ビデオを作りました。
 次にマンガンの正確な歴史を本にして出版しその半年後、丹波マンガン記念館を閉館をします。
 日本には日本国営の従軍慰安婦も強制連行博物館もない。つまり国営の加害の博物館は全くないのである。つまり日本政府は加害の歴史を残したくないという表れに他ならない。そういう意味ではNPO丹波マンガン記念館は日本で初めて唯一の強制連行博物館になる100万人以上の拉致、強制連行があったのにそれを残す博物館が一つしかないのは異常な事で、それも被害者の側が作った博物館しかない。
 その加害行為を博物化することが不戦への道であり前の戦争の本当の反省てあります。
 ドイツでは1000カ所以上の博物館やモニュメントがドイツ人の手で作られ戦犯はドイツ人の手で裁かれ教科書は20カ国の周りの国と協議され出版され日本のように加害国の検定はありません。
 補償は国籍条項はなく被害者個人に支払われています。又ユダヤ人の虐殺はもっと少なかったと発言すると国民扇動罪になります。
 日本ではテレビなどの公共電波で扇動発言が頻繁に発言されています。
 謝罪や被害者救済は国益にはならないという論調は絶対に間違いです。
 なぜならドイツは戦後処理を目を背けずやってきたとする評価が高いからヨーロッパや近隣の国に受け入れられたのです。
 日本はどうでしょう。いまも韓国や中国で反日デモが起きたりアジア各地に日本の加害博物館ができています。
 謝罪や被害者救済をすることこそ国益であるということはドイツを観れば歴史が証明しています。被害者側のつくった強制連行博物館を日本の国は運営維持するための費用を一切出そうともしませんが本当は日本国がその加害者責任を感じ博物化し残すべきだと思いますが2000〜3000万人のアジア人を殺した罪を感じていない日本は加害の博物化もしょうとしないし最低限度の被害者救済もしないのです。
 NPO丹波マンガン記念館は本が出来なくとも2009年末には閉館しますがNPO丹波マンガン記念館へきて頂いた方、会員になって頂いた方、カンパを頂いた方にはNPO丹波マンガン記念館を運営、維持する上で多大なる御協力をしていただいのに閉館することになり紙面の上からですが、謝罪と深い御礼を申し上げます。
2008年6月22日     丹波マンガン記念館 館長
李 龍植 
トップページに戻る