あいさつ

 

NPOと丹波マンガン記念館の運営を辞めたのは何故?

   一ヶ月の点検費を3万円で、してくれとNPOは李龍植に依頼するのですが一日の日当は(15日なので)2千円です。

子供の小使いではないので、拒否すると総○の職員は3月に3万円しかもらってないといいます。

中国やベトナムではないので3万円では生活も出来ない。

自分の仕事もあるのでと拒否しました。

坑道()の整備する為の道具等の代金も3ヶ月も払わない。

労働費も3ヶ月も払わない。始末でした。

点検のやり方を理事の誰かに教えてあげるから自分達で行って点検しては、と言いましたが誰も記念館に行って点検するとは言いませんでした。

自分達は記念館に行くのは嫌なのですが李龍植には点検して欲しい。

しかしお金を出すのは嫌という都合の良い言い分でした。

   NPOの理事は会費すら支払わない理事が多くいます。

総○は毎年100万円を寄付すると言っていましたが全て嘘でした。

赤字になれば理事達で赤字の補填をするという取り決めでしたが誰も一万円のお金も支出しませんでした。

お金がないのなら丹波マンガン記念館を再建しょうと何故、言ったのでしょうか。

人件費節約の為に無料の人が運営すると言っていましたがそれもウソでした。

お金も出さない。人も来ない。しかし鉱山の素人が運営は自分達NPOがしている。としたい。というのは、虫が良すぎる話です。

○ NPO NPOが運営するマンガン記念館に再建する意味があるのであり、記念館を再建するのは在日の人権や平和のためではなく自分達の売名、自分達の運営する博物館の為ということになります。
NPOが運営を出来ないのなら李龍植の運営はさせない。として韓国からの運営のための送金もさせないように妨害しました。

○ お金がない。工事費が高い。と言うのなら何故、運営を李龍植とその家族に任さなかったのでしょうか?

記念館の売り上げと韓国からの送金で李龍植が館長に戻って運営してはどうか。と理事会に再三、提案しましたが拒否されました。

運営は元々、丹波マンガン記念館は歴史を残すという趣旨で再建する運動を始めた筈ですが20年間運営して来た李龍植が館長に戻って運営する。というのを反対するNPOの理事達はあくまでNPO総○サイドでの運営でなければマンガン記念館を運営する意味がないと思っているNPOは頑なに李龍植の運営を拒否しました。

   鉱山や鉱物、法律、観光、博物館の知識がなく整備に必要な重機、機会、工具、技術もないのに運営できるとしているNPOの主張は理解できません。

   NPOは強制連行や日本の加害の歴史を遺すのではなく、マンガン鉱山労働者の過酷な労働実態としてすり替えた丹波マンガン記念館の展示にしたかったようです。

リーフレットも日本の加害の歴史は全て削除し李龍植に内緒でリ−フレットを書き換え校正も、させませんでした。

○ 結果は色々なトラブルが発生しました。

参考のためNPOが運営していた時のトラブルを記載します。

   李龍植の知らない間にツアーを企画する。(受け入れ準備が必要なのに相談しない)

   李龍植の知らない間に来館者が乗る見込みのない京都駅から無料送迎バスを走らせる企画をして年間契約する。

   李龍植の知らない間に勝手にパンフレットを作り李龍植に内容も知らせず校正もさせず印刷する。

   李龍植の知らない間にバーベキューの企画をして受付雨が降って、みやげ店と資料館が煙だらけになる。

   李龍植の知らない間に入館料800円を500円に変更して又800円に戻す(役所や学校は5月に1年の予算を決めるので入館料をコロコロ帰る事は厳禁なのです)

   李龍植の知らない間にガイド料をコロコロ替える(団体によって金額が違う)

   李龍植の知らない間に金、土曜日は予約制にして日曜日は開館する予定だったが李龍植に断りもなしに全部の曜日の団体受付をする

   金、土曜日は予約制にして日曜日は開館する予定だったが李龍植の知らない間に他の日も団体を受け付けても給料体制も人事の割り振りも変更しない。

   開館して3ヶ月は団体を受け付けた日付、人数、時間等を李龍植に全く報告しない

   李龍植に業務の報告、連絡、相談が全くない。

   事務局長は開館時間にほぼ全部の日で301時間程は遅刻して出勤する。

   李龍植の知らない間に平日の団体の受け入れは総○も誰もガイドボランティアが来ないので一人で団体の説明をして坑道に入るので資料館が無人となり盗難に逢う

   李武律氏NPOは無料のガイドボランティアが運営する。といっていましたが15000円を払う事になりました。

   平日、金、土曜日の開館を一人で、しないようにと李龍植は会議で申し入れていたが無視して一人で開館して鉱石や蛍光鉱物、展示品が盗まれたが賠償しない。

   工事をしても見積りが出ていないと金がない。と言って払わない

   坑内労働者が作業中に怪我をしたので労災保険を掛けてくれと理事会で李龍植がお願いしたが保険を掛けないし医療費も払おうとしない。

   お金がなくなったら、理事が共同で赤字補填をする。となっていましたが誰もお金を出さない。

   理事長や理事の誰かが収入と支出の収支を考えたり業務を執行する判断をしたり総合的な執行責任者がいない。

   ほとんどの事を李龍植以外の理事達と事務局で決めて李龍植には決定事項だけ言う

   緊急工事が必要な時に中村氏やチョン・ヒスン氏と連絡が取れないので工事をしても良いか、誰も判断できない。

   NPO2012年に運営しなくなっても、NPOは団体を受付、李龍植の受けた団体と重なり、混乱する。

   NPO2012年に運営しなくなっても李龍植の設定した新料金にしないので差額が発生したが賠償されない

   丹波マンガン記念館という名前を使い寄付行為をしているのだが集まった、お金を運営の為に記念館に寄付せず自分達で使っている。

   李龍植が作った丹波マンガン記念館の通帳、李龍植が作った記念館の鍵、李龍植が作った記念館の印鑑を李龍植に返さない上、返還するように要求するとこれらの購入費用を出してくれたら返すと意味不明の事を言いました。これは、窃盗です。

  李龍植の所有物を返還してもらうのに何故、李龍植がお金を出さなければいけないのでしょうか?

   運営の全てがチャランポラン、泥縄式、出たとこ勝負、平気でいいがかり言い、下品に居直る、という運営で李龍植に相談せず博物館や鉱山に全く素人のNPOが運営を判断して全てが、ことごとく失敗しました。まだまだ多くの失敗やトラブルがありますが文章が長くなるので書きません。

   坑内保持をせず事故が起こったら責任を取らないNPOに任せると鉱業権者の李龍植に責任がかかるので任せられません。

鉱山や鉱物、法律、観光、博物館の事を全く知らない素人が運営するので色々なトラブルが続発しましたので運営をする事を断念しました。

○ NPO丹波マンガン記念館は丹波マンガン記念館の運営はしていませんが丹波マンガン記念館に無断で「丹波マンガン記念館」を名乗って、います。

  NPO丹波マンガン記念館は寄付行為をしていますが集めた寄付は丹波マンガン記念館の運営には役立てられていません。

  マンガン鉱山労働者の過酷な労働実態を残すのであれば、「丹波マンガン記念館」という名称は必要ありません。

  別の名前でそういう、活動はできる筈(NPOの名称変更も含め)ですが「丹波マンガン記念館」という名称を使い丹波マンガン記念館の運営を妨害しています。

   NPO丹波マンガン記念館と丹波マンガン記念館は別組織です。

  NPO丹波マンガン記念館の行動に丹波マンガン記念館に何ら責任を負いません。

  2013年は1年分の支援をする人が居たので暫定的に開館します。 

       

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